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私事で恐縮ですが。
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私が東京にある放送伝道団体に勤めていたときのことです。5ヵ年計画推進委員会なるものを組織することになり、外部の方々に委員会のメンバーをお願いしました。お忙しい中をお運びくださる委員の方々に昼食をと、私の大先輩にお供して昼食の弁当を買いに出かけました。
行った先は新宿の大きな、洋風から和風まで弁当ならなんでもあれの、いわゆるデパ地下。きつね色に揚がったカツがたっぷり入った弁当が目に留まった私は、意気込んで「これにしましょう」。ところが、私よりふたまわり年上のその先輩は、「自分の好みじゃない、委員の方々にとって良いものでなくては。」と、ひどく厳しい表情で答えを返してきたのです。いつも柔和で穏やかに話してくれる人でしたので、大変驚きました。
結局、カロリーが抑え目の、盛り付けや味付けに気配りを感ずる和食弁当を選んだのが正解でした。その日の委員会の昼食で年配の委員方は、この弁当はどこで買ったのかとしきりに尋ねてこられたのでした。
その人たちにとって最善は何か、そのために自分はなにをしたらよのか。高齢ですでに天に召された敬愛するその先輩のことばは、30年近くたった今も私の心にしっかりと刻み込まれています。
イエス・キリストはご自身のためでなく、私たちのために、天の御座を離れて罪だらけのこの地上にきてくださいました。イエス様はご自身の好みではく、私たちにとって最善となるように、ご自身から命を棄ててくださいました。では、このお方のために私は何をさせていただいたらよいのだろうか、いつもそう考えさせられるのです。
「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡にしたがうようにと、あなたがたに模範を残されました。」(Iペテロ2:21)
(コース#20700 「真の謙遜」は、とかく自分の都合や好みを優先しがちな私たちの心を大きく転換させられるコースです。まだの方はこの学びにも是非チャレンジしてください。)
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担当
Hitoshi Shinoda
記載日
1/21/2011 2:45 PM
読者数
5204
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