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<信仰者の生活というものが、運動選手の訓練生活に似ている>MKさん
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ピリピ人への手紙 --- セッション8 信仰者の生活というものが、運動選手の訓練生活に似ている、ということが、なかなか体験的に理解できないでいるのですが、少なくとも、重要なことだと理解しました。 これまでの私の生活は、「静寂主義者」と「活動主義者」の両極端であり、的外れであったことに気づかせられました。結局、自分の感情に振り回されていたことに気づかされました。 「一事専心」は耳に新しい言葉でしたが、神様という最高のコーチに聴くということは、「何もかもお任せします。」で諦めて、努力を怠ることでは決してない、ことを心に刻みたいです。この世的に将来を悲観し、過去を悔やむのでなく、ヨセフのように、神様が「将来のために」与えてくださった痛みや失敗だったのだ!と受け止めます。そのように受け止めることを妨げようとする、自己憐憫や自己中心といった、悪い思いや考えに「NO!」を言える強さを、主に求めていきます。 信仰生活が長いわりに、知らないこと、心に刻んでいかなくてはならないことが、まだまだ沢山あることに気づかせていただいていることに、感謝します。
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