「イエス様を信じて委ねて行ったら必ず祝福がありますよ。」 私の湯呑みにお茶を注ぎながら牧師夫人は穏やかにこう言われました。 1968年1月「結婚式は教会で。」と言う自分達の都合のみで教会を探し、生垣から覗く小さな看板を見つけ、吸い込まれる様に入って行ったのが母教会「香推バプテスト教会」でした。 長身を折る様にして微笑みながら入って来られた森山先生、私は途端に涙が溢れ出しました。何故?今もって分かりませんが、先生は私の気持ちが落着くのを静かに待ってくださいました。初めてなのに心開いて有りのままを色々お話ししたのだと思います。そして一番心に残ったことは「神様の前で結婚するのだから、神様を信じてそれから式を挙げましょう」とおっしゃる先生のお言葉でした。救いに導かれる明確ないざないの言葉ですね。「神様が私達二人を招いてくださっていたのだ」と折ある度に思い出します。 当時の私たちは、高校時代にギデオン教会の方からいただいた聖書を手にした事があるだけで、神様の御言葉や救いのことなど全く分かっておりませんでした。「海中で溺れている私たちに上空のヘリコプターから救いの手が伸べられてるんですよ。」神様のこと、イエス様のこと、罪の事を話してくださったのでしょうが、私は、この状況の例え話が一番解りやすく素直に神様の助け(当時は本当にそう思いました)を受け入れました。 神様は結婚という節目を通して、真に大いなる御業を示して下さったのですね。神様のお恵みと母教会兄姉の愛に囲まれての我家の出発でした。以来39年、当時は、何だかはっきり知ることが出来なかった主の御業が少しずつ信仰生活の中に示されて参りました。喜び、悲しみ、試練の時には、いつでもイエス様が共にいて助けてくださった事を深く覚えます。
今、また二人の生活に戻り、6年前定年退職した夫と共に教会へ導かれている、大きな恵みを感謝しています。福岡県 山本睦海