イエスキリストを信じる以前の私は夢を追うことに夢中でした。自分のやりたい仕事をし、自分の夢を実現していく。そこから得る満足感を自分の自信にしたい。そんな気持ちでした。Mプロダクションという会社にいましたが、自分で独立してフリーで仕事を始めました。又、仕事の合間を見ては、行きたいと思っていたところに旅をしました。
28の時だったでしょうか、戦時中の兵隊のリュックサックを手にいれ、そこにインスタントラーメンを50くらい入れて、少しのお金を手に、横浜からナホトカ行きの船に乗りました。ソ連、北欧、ヨーロッパ、北アフリカと旅を続ける中で、どうしようもなくなった時、イエス様にお会いしたのです。
それはスイスでのことでした。お金がなくなって、ホテルで居候をしていたのですが、アルプスの素晴らしい自然に囲まれていながら、ひどく惨めでした。そんなとき、私に日本語の聖書を読む機会が与えられたのです。神様は私がとっても聖書のような難しい本を読む人間ではないことをご存じでした。長い間、言葉もよく通じないような生活の中で、私は、何とか日本語の本が読みたいという乾くような状態になりました。そんな時に私はたまたま、3冊の本を手にしました。1冊目はハードボイルド、2冊目はドキュメンタリーの「連合赤軍浅間山荘事件」、3冊目が聖書でした。読書の嫌いな私が全部一気に読んでしまったのですが。そのとき、神様を信じたのです。もしこういう表現が許されるならば、私は、その時に神様に会う体験をしたのです。私は日本語に飢えていたこともあり、聖書を貪るように読みました。そして、世界を創造された神をアルプスの山々を見ながら信じ、人間の罪を知り、過去を振り返りながら、自分の罪を知り、聖書を通して、イエスキリストの十字架、そこに示されている神の愛を知りました。イエス様にお会いすることは神の愛を知るということでもあります。ただ神を知るだけでなく、神の愛を知るのです。「神が私を愛している。」この言葉が私を打った言葉でした。暗かった私の心に天から光が差し込んで来るようでした。
ヨハネ第1の手紙
4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
愛は恐れを締め出します。神があなたを愛しているなら、あなたは何を恐れる必要があるでしょうか。ここに新しく人生を歩み出す力が隠されています。神と共にある歩みです。神に愛される歩みです。
今まで、自分は、「自分に素直に生きたい」という心で生きて来ました。しかし、自分がそういう言い方で正当化しているほとんどのことは「自己中心」ということに言い換えることの出来る事だと分かって来ました。結局自分の夢を実現したいということ以上の価値を自分の人生の中で見いだし得なかったのです。ところが聖書を読み、実際に神がいらっしゃることが分かると、何とか神様に喜ばれるような生き方をしたい、神さまのことを伝えたい、神さまのために働きたいというような、いわば神中心の考え方が私の心に染み込んできました。自分の夢を実現すること以上の価値を発見したからこそ、今までの生き方を喜んで捨てることが出来ました。もし神様のために働くことが出来れば、自分がゴミと思われても構わないと思いました。私の人生を180度変えたのは、聖書との出会い、そしてイエスキリストとの出会いです。私は聖書にリアリティーを感じました。そして、そのままその内容を受け入れました。生ける神がおられること。その神が世界を造られ、人間を造られただけでなく、こよなく人を愛しておられること。実に私たちの罪の身代りに十字架に死んでくださるまでに。不思議なほど素直に総てを受け入れる事が出来ました。
私はそれまで、仏教も神道も一緒に信じて来ました。しかし、日本の神様、ヨーロッパの神様と、神様に縄張りがあるように考えていた自分がおかしいと思いました。真の神がいらっしゃれば、それは全世界の神だと思いました。そのころから、日本に帰り、日本で家族や友人にこの神様を知って欲しいと思うようになりました。
神様は不思議な方法で私を日本へ返して下さいました。
私は半日だけ働いていたのですが、あるときから一日中働かせてもらうようになりました。そんな時、初めてクリスチャンの団体がホテルにやってきました。そしてその団体の方々に本当に喜んでいただいたこと。そして、ホテルのご主人との和解。給料を要らないと言ったのに、あるとき、私は呼び出されて給料を貰ったこと。マタイの福音書6:33に「神の国とその義とをまず第1に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(必要)はすべて与えられます。」とあるみことばの真実を知りました。
日本に帰ると、不思議な導きで、仕事が与えられ、その仕事を通して、兄が導かれ、家族が導かれつつあります。何よりも私にとって幸いなことは、心の痛みから解放されたことです。そして、罪の許しを確信出来たことです。そして信仰をもつことのゆえに与えられる幸いは、自分が生きていることの意味を知ることが出来たことです。私は自分の生涯の中で一人の魂をもし神の身元に導くことが出来れば、自分がこの世に生まれた価値があると思いました。(これは少し変な考えかも知れません)そして、自分に与えられている神様からの使命(分)を知ること。そして、神に生かされ、神に従って生きる行き方の方がどれだけ冒険に満ちているかわからないということを今感じています。この人生の転機をあなたも自分のものにしていただきたいと願っています。
ローマ人への手紙10:11 聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
山守博昭 柿生キリスト教会 牧師 (日本福音キリスト教会連合)