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わたしをだれだと言いますか?
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イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」(ルカの福音書 9:20)
もしあなたが、友人に向かって、「あなたは、私をなんと呼ぶ?」と尋ねたら、「何をいまさら」と吹き出してしまうかもしれません。もしかしたら、「マジに?どうかしたの?」と心配するかもしれません。
ところが、イエス様は、3年の間どこに行くにも従ってきた弟子たちに、おそらく一人ひとりの目を見つめながら、あなたは、わたしをだれだと言いますか、と問うたのです。イエス様は真剣でした。
人々は、み言葉をはっきりと語り、罪を厳しく非難し、不思議なみわざをなさっていたイエス様を、偉大な先生と呼んだり、生き返ったバプテスマのヨハネだとか、昔の大預言者の再来だと言っていました。その一方で、イエス様を好ましく思わない者たちは、あれはガリラヤ出身だ(すなわち、キリストや預言者が出るはずがない、無教養者ばかりいる地域の出身だ)とか、マリヤの子ではないか(すなわち、本当の父親が誰か分からない子だ)と言って、軽蔑していました。
そこでイエス様は、ご自身が十字架にかかられるときが間近に迫ったある日。お弟子たちに、「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」とお尋ねになったのです。
イエス様の問いに対して、弟子たちが互いに顔を見合って、あーだろうかこーだろうかとささやき合い、答えに詰まっていたであろうときに、ペテロはすかさず、「神のキリストです」と告白しました。キリストとは油注がれたものという意味です。王であり、大祭司であり、来るべき救い主です。
イエス様がもしも名刺を作られるとしたら、「取締役社長」とか、「内閣総理大臣」という肩書きのところは、「キリスト」とされるでしょう。・・・もっとも、イエス様は、「はじめまして。こんなものですが」と言ってご自身の名刺を差し出す必要は全くないと思いますが・・・。それはともかく、まさに、ペテロは、神が人となって来られたイエス様を、いわば、もっともふさわしい肩書きで呼んだのです。
相手の存在をどのように位置づけ、どのように評価しているか、呼び方は相手に対する心の内の思いの反映です。イエス様は、「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と現代のわたしたち一人一人にも問いかけておられます。
イエス・キリストのことば:「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」(マタイの福音書 10:32)
もう一度おたずねします。「あなたは、イエス様をどなただと呼びますか?」
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コース番号10600「イエス・キリスト - 神、救い主、大祭司」が、油注がれたかたとしてのイエス様について学べます。私たちがこのかたをキリストと告白するとはどのようなことなのか、はっきりさせてくれる学びです。
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担当
Hitoshi Shinoda
記載日
8/21/2012 3:40 PM
読者数
4724
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