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クリスチャンホーム

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家庭の子どもたち-家族の絆

 

第5章

家庭の子どもたち-家族の絆

  「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」(詩篇 127:3)

赤ちゃんを見ると、本当に感動します。子どもは、神様が両親に授け任せられて生まれてきました。夫として、妻として、委ねられた役割は最高のものです。両親の教えやお手本によって子どもは育ちます。子どもたちは笑ったり、歌ったり、時には泣いたりしながら、何が喜ばしいことかを学び、人生を学んでいるのです。親としてこういう彼らを誰よりも身近かに見聞きできるのは素晴らしいことです。ある研究によると、子どもたちは85%の影響を家庭から受けるそうです。子どもは、家庭を反映します。両親から教えられ、両親の生活を通して、神様と神様のみことばである聖書に導かれます。子どもの身体の成長と永遠にいたる運命は、両親の手中にあるといっても過言ではありませんし、親は一生涯、子どもに関することを日々真っ先に祈るに違いありません。

  子どもが親の意に反することをして、親は心を痛めることもあるでしょう。子どもが明らかに正しくない選択をすることもあります。子どもがもしも道から迷い出たときには、ルカによる福音書15:11~24 にある放蕩息子の話を思い出してください。そのお父さんは、愛する息子のことを祈り、心配し、いく晩も眠れない夜を過ごしたに違いありません。そして、息子が帰ってこないかと、いつも道のかなたを見ていました。息子が帰って来たときには、お父さんはすでに赦していて、息子が、自分はもうあなたの子供としての資格もないと語ろうとすると、それをさえぎりました。それが、真のクリスチャンである親の心です。

  ある農場で、20年以上もたった建物を取り壊した人の話があります。取り壊した後は、見栄えのないさら地となりました。4月になって雨が降り、日が照りました。すると、建物跡に無数の花が咲いたのです。その人はびっくりしました。明らかにその種は、前からずっとそこにあったはずです。雨と日光がなかったので育たず、花を咲かせることができなかったのです。多くの家庭で、このように美しい花を咲かせる可能性が眠ったままになっています。

 

家族の会話

 我が家には、子どもたちはいつでもどんな質問をしてもよいという決まりがありました。私たちは、子どもたちにどんなことでも話すようにと言って聞かせました。また子どもたちは、私たちと違う意見を言ってもかまいませんでした。しかし、我が家にはもう一つの決まり、「全てのことを話し合える、けれど、必ずしも自分の願い通りになるわけではない。」というのがありました。子どもたちが大きくなるにつれ、私たちは聖書の内容についてたくさん話し合いました。それによって、子どもたちは物事を深く考えるようになったようです。また、親である私たちが何を信じ、聖書が何を教えているかを、強く確信できたと思います。子どもたちが話をしたければ、私たちはいつでも聞くことにしていました。子どもたちは、寝る前によく質問をしました。本当は、答えを聞きたいからではなくて、まだ寝たくないからだったのかもしれませんが、でも私たちはその機会を利用しました。それと、子どもたちが話したいことに私たちも興味があることを示しました。

 家庭での大きな失敗の一つは、子供たちとの会話が少ないことです。子どもたちが家族以外の親しい友だちにいろいろと助言を求めることが多すぎます。時として子どもたちは、家で得られない答えや、家で聞きづらいことを友だちに聞きます。友だちが自分の兄弟や姉妹の場合もありますが、たいていは近所の男の子や女の子です。その子どもたちがまちがった答えをしている可能性もあります。友だちに聞きたがるのは、家族が時として身近かすぎて変わり映えのしない関係になりやすく、新鮮さを感じなくなっているからです。しかし、子どもたちは、一番の親友は、実は自分の兄弟姉妹だということをしっかりと知らなければなりません。友だちは、できたと思っても離れてしまいますが、家族はいつまでも家族です。「血は水よりも濃い」ということわざがあるように、どんなに親しくなっても、家族ではない友だちは、兄弟姉妹ほど真実で近い存在にはなり得ません。親の多くが、家族愛と愛情は本能であって、それらは自然に育つと思っているようですが、これは、大きなまちがいです。親は、愛情をきちんと態度で示す必要があります。進んで仕えること、自分を律すること、自分中心を正すこと、相手を思いやることを親自身が態度で示してゆくこと、これによって家族は絆が強まのです。一緒にいるからといっても、家庭でしっかりと愛が示され、教えられなければ、愛があるとはいえません。父親や母親が言った「ごめんね」とか「赦してね」といった言葉とか、家族をいたわる言葉は、子どもにとって生涯忘れ得ぬレッスンとなります。

 

兄弟は姉妹を守る

 弟チャールズと姉メリー・ラムの有名な話があります。メリーは、突発的に起こった精神異常の発作で、母親を殺してしまいました。彼女はその時から、その凶暴な発作を繰り返すようになりました。チャールズは、そのメリーに発作の前兆が見え始めたら、姉の手を取って精神病院へ向かいました。彼女は、その病院で数時間監禁されなければなりませんでした。手をつなぎ合い、激しく泣きながら精神病院への小さな森の道を歩いている二人。それをたまたま見かけた友人がその様子を語っています。この試練は1年や2年ではなく、弟チャールズが35年間、ずっと愛と忍耐によって背負ったのでした。兄や弟は、姉や妹を守るべきです。

 男性である兄や弟が、姉や妹を守るもう一つの方法があります。若い男性は、誰が不純で危険な男性であるかがわかります。もし真の兄や弟であれば、そんな男性が純粋な自分の姉や妹の相手になるのを、黙って見ているわけにはいかないでしょうし、不遜な男性の性格について姉や妹に忠告するでしょう。姉や妹は、親しくなりかけた相手の男性について、自分の兄や弟に忠告や助言を求め、それらを心に留めることで、ことなきを得るのです。

同じように、兄や弟もデートしようとする相手の女性のことを、率直に姉や妹に相談するのがよいでしょう。女の子は女の子のことが、男の子は男の子のことが分かるからです。その女の人が兄や弟にふさわしいか、それとも本性を隠して色気をちらつかせて兄や弟をだまそうとしているのかが、姉や妹にはわかります。真の姉や妹であれば、それを兄や弟に言うでしょう。兄や弟も、その女性についての姉や妹の忠告や助言を心に留めるべきです。   

 

兄弟姉妹は助け合える。

 今の時代、若い人たちが、自分を清く保つことは実にむずかしいことです。「みんながしているから良いのだ。」とよく言います。しかし、それは正しくありません。たとえば、みんなが麻薬をしているとしましょう。それなら麻薬をしても良いということになるのでしょうか。そんなことは、決してありません。若い人たちにとって、純潔を保ち道徳的な人生を歩むことは、むずかしいかもしれません。しかし、選択を誤ってはいけません。妥協するようにという誘惑は、四方八方からきますが、神様は、「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」(ローマ 6:13) と言われています。

  多くの場合、女性よりも男性の方が巧妙に誘惑されます。しかし、第1コリント10:13のみことばを覚えておくといいでしょう。そこには、「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」と書かれています。

 こういうときに、姉や妹は兄や弟を助けることができます。純潔で清らかな魅力を持った行動と態度で模範となれば、兄や弟が社会に出ても、その姉妹の人柄を思い出して、誘惑を遠ざけるでしょう。姉や妹を思い出すと、性的に誘惑してくる女の人にうんざりして嫌気がさすはずです。姉や妹が、兄や弟によい影響を与えるように心がけることは、とても価値あるのです。姉や妹が純潔で魅力的であれば、兄や弟が不純な誘惑を拒絶する助けになります。兄や弟が、「お姉さん(妹)のような女性を伴侶にしたい。」と言うのは、姉や妹にとって最高のほめ言葉にちがいありません。箴言31:10に、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。」とあります。

また同時に、兄や弟は、清潔で高潔な男性とはどういうものかという模範を姉や妹に示すべきです。兄や弟のクリスチャンとしての証と共に、その人柄や言葉使いが、姉や妹にとって、男性を見る基準となります。ルカ 6:45 に、「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」と書いてあります。姉や妹は、兄や弟を見て夫を選びます。兄や弟の人生や人柄によって、姉や妹の男性観は高められ、立派なふさわしい男性と結婚します。そのようにして、姉や妹は守られるのです。

 「守る」ということは、今の世の中ではとても重要なことです。ポルノによってテレビ、雑誌、インターネットが低俗化しています。公共の場においても道徳は悲惨なほど低下しています。「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」と、ピリピ 4:8には書かれています。女子の多くは、自分たちにどんなに大きな機会と責任があるかに気がついていません。男性は、女性から強く期待される以上の存在にはなりえません。また、国家はその国の女性よりも高くそびえ立つことはありません。過度な責任の重荷を女性に負わせたくはありませんが、家庭での姉や妹が、また社会の女性が気づいている以上に、その兄や弟や若い男性の将来は、女性たちの手中にあるのです。

兄弟姉妹は、愛と絆を生涯守るべきです。だんだん疎遠になることは簡単です。引越しをし、家族が増え、興味や責任が違ってくると、兄弟姉妹の関係を親密に保つのはむずかしくなります。しかし、できないことはありません。私たちには、昔の人たちにはなかった便利な連絡方法があります。メールや電話やほかの方法で、瞬時に連絡がとれます。何か質問があるときには、遠慮なく相手に聞き、相談できます。そうあるべきですし、すでに多くのクリスチャンホームではそうしています。共通の過去と共通の祝福、そして家庭の思い出が、兄弟姉妹を結び付けます。家族は神が定めたもので、この世だけでなく永遠の関係なのです。ですから、互いの忍耐と助け合う気持ちを持ち、愛と責任を持って生きていこうではありませんか。    

 かつてはとても親しい家族関係だったのに、誤解や批判によって絆が薄れ、緩み、冷たく無関心なものになってしまったら、どんなことをしてでも修復してください。電話をかけたり、手紙やメールを書くことが、強い絆をとりもどす第一歩かもしれません。ぜひ考えてみてください。

 

 

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