第17章
将来のできごと
聖書を学ぶ人は誰もが、将来起こることがらについてみ言葉を学びながら心を躍らせることでしょう。聖書だけが、将来のことを明らかにしています。これから何が起こるのかを起こる順番に調べることにしましょう。
I. キリストが、聖徒のために再び来られます。
神様のご計画で次に起こることは、キリストが再び来られて・・・キリストの再臨とも言いますが・・・ご自分の民を天の御国に連れて行かれることです。 1テサロニケ4:13-18に記されている出来事は、教会の「携挙(けいきょ・クリスチャンを天に引き上げること)」として知られています。キリストが天から下って来られ、ラッパが鳴り響き、死んだクリスチャンのからだがよみがえらされます。それから、生きているクリスチャンが彼らと共に引き上げられ、空中で主とお会いします。
これは、瞬間に起こるできごとです。聖書のこの箇所は、これらのできごとを画面ごとに説明しています。どうか注意深くお読みください。なぜなら、あなたがイエス・キリストを自分の救い主として受け入れておられるなら、それはあなた自身にかかわることとして書かれているからです。 1コリント15:51-58 そしてそれは、今日起こるかもしれません。
キリストの再臨に関して、以下の事実を心に留めてください。
A. いつ来られるか分かりませんが、すぐ来られるかもしれません。黙示録22:7
B. 真に救われている人々だけが引き上げられます。1コリント15:23
C. すべてのクリスチャンは、死ぬのではなく、変えられます。1コリント15:51
D. すべてのクリスチャンがキリストに似た者とされます。1ヨハネ3:2; ローマ8:16-25
II. 大艱難(だいかんなん)が起こります。
マタイ24:5-31と黙示録の大部分は、地上における大艱難の期間を扱っています。携挙(けいきょ:クリスチャンが天に引き上げられること)のあと、地上では大艱難という、激しい苦しみや嘆き悲しみの時代となります。この期間、ユダヤ人たちは、キリストを信じないままでパレスチナの地に戻ります。非常に邪悪な支配者が、「反キリスト(キリストに逆らう者)」として台頭します。人々に、自分を崇拝するようによう要求し、イスラエルを欺きます。やがてそれは耐えがたい苦痛となり、その期間が短くされなければ、誰も生きながらえることはできません。しかし、神様は、この間、ご自身に忠実なユダヤ人たちを守られます。
III. キリストが支配されます。
大艱難の前半の3年半は、反キリストの支配者がユダヤ人の味方になりすまして、彼らを守るものであるかのようにユダヤ人たちを信じ込ませます。その3年半が過ぎると、反キリストは自分の正体をあらわし、ユダヤ人に敵対します。それから、歴史上未曾有(みぞうう)の激しい迫害と戦いが起こり、最後はハルマゲドンの戦いで終ります。
マラキ4:1-3 大艱難時代の終わりには、主イエス・キリストが、携え挙げられた人々と共に、強大な権威と栄光のうちに地上に戻り、クリスチャンたちは主と共に支配します。キリストは、主に忠実なユダヤ人たちを迫害した敵と反キリストを滅ぼし、彼らの国々を裁きます。悪魔は、千年間、底なしの穴に縛られて閉じ込められます。 黙示録20:1-3
IV. 千年王国が始まります。
イザヤ32:1; 35:1-7; 65:17-25 キリストは、裁きを終わると、地上にご自分の王国を建て、エルサレムをその都とし、千年の間支配されます。この期間が、千年王国です。平和と幸福な時代です。大自然はまったく変えられ、砂漠には花が咲き乱れ、ライオンが子羊と共に寝そべると書かれています。人々は長寿となります。この時代、国は大いに繁栄し、戦争はまったくありません。罪は皆無ではありませんが、罪が起きても直ちに罰せらます。
V. 大きな白い御座の御前での裁きがあります。
黙示録20:11-15 キリストが千年間支配された後、大きな白い御座の御前での裁き(最後の審判)が始まります。これは、罪の中に死んだ人々の裁きです。救われている人は含まれません。キリストの救いを信じ受け入れなかった人々のからだが墓から出され、その魂たちは地獄(ハデス)から出されます。そして彼らはキリストの御前で裁かれます。数々の書物が開かれて、 黙示録20:11-15 彼らがした全ての行ないについて審判されます。最後に、その名前が子羊の命の書に見つからない人は有罪とされ、意識があるまま永遠に火の池で身を焼かれながら苦しみ続ける刑罰を受けるという判決を受けるのです。
VI. 永遠
黙示録20:1-8 将来の最後は、永遠です。ご存知のように、地は火によって焼き滅ぼされ、時間は止まります。真のクリスチャンたちはすべて、天国で永遠に幸福を楽しみます。救い主を拒絶したすべての人は、絶望の闇の中で永遠に苦しみ続けます。「天国への道」の「3つの大切な質問」の最後の質問にあるように、私たちの誰もが問われる究極の質問は、「自分はどこで永遠を過ごすか」です。そして、それは誰もが、自分がこの地上で生きている間に必ず答えて選び取らなければならない問いなのです。